概念が崩れる瞬間を経験しました
- ai

- 3月17日
- 読了時間: 3分
そろそろ車を買い替えようかと思って、先日、テスラに行きました。
試乗しようとした車を見て、最初に思ったこと。
「あれ、これだけ?」
ハンドル。
アクセルとブレーキのペダル。
そして、MacBook Airくらいの大きさのパネル。
それだけ。
今まで乗ってきた車とは、あまりにも構造が違う。
私はどんな車でも言われたら即座に運転できるタイプなのですが、思わずテスラの方にこう言ってしまいました。
「うわ、これ運転できないかもしれない」
本音が、ポロッと出ました。
普段は滅多に言わない言葉です。
でもこの時は、思わず出てしまった。
もちろん、実際に運転してみたら——
今までにない快適さでした。
駐車場には自動で停めてくれる。
暑さ寒さは、声に出すだけでコントロールできる。
運転しながら「少し暑い」と言えば、それだけでいい。
すべてが音声で完結する世界。
普段の私は、家の家電もわりと自動化が進んでいるし、複数のAIを日常的に使ってもいます。
自分では、わりと時代の先を生きているつもりでした。
でも。
テスラに乗った瞬間、自分の中で何かが——
ガタガタガタ、と音を立てて崩れていきました。
「車とはこういうものだ」という、長年積み上げてきた概念が。
そしてその感覚が、あまりにも新鮮で。あまりにも心地よくて。
「概念を壊す」ということを、もっと意識的にやっていいと思いました。
私たちは気づかないうちに、自分の中に「こういうものだ」という枠を作っています。
車はこういうもの。
仕事はこういうもの。
生き方はこういうもの。
その枠は、いつの間にか「安全」を守るための壁になっている。
でも同時に、新しいものが入ってくる隙間を、完全に塞いでもいる。
ガタガタと崩れていく感覚——
あれは怖いことじゃなくて、更新されている証拠。
あなたの中の何かが、「もう古いよ」と教えてくれているサインかもしれません。
ところで、テスラから帰ってきてから、ずっと考えていることがあります。
あれだけ快適で、感動した車なのに——
「今、買うべきか?」と問われたら、正直まだ迷っています。
なぜかというと。
「車」という概念そのものが、ここ数年でまた大きく変わるんじゃないかと思っているから。
自動運転が本格的に来たとき、「運転する」という行為自体がなくなるかもしれない。
車は「操るもの」から「乗せてもらうもの」に変わる。
そうなったとき、今の選択肢がベストかどうか、まだわからない。
それよりも、テスラが開発している「オプティマス」という人型ロボットの方が、先に買う価値があるんじゃないかとさえ思っています。
家事をしてくれて、声で動いてくれる。
そっちの方が、生活の概念を変えてくれるスケールが大きい。
もっとも、オプティマスが一般家庭に届くのはまだ少し先の話です。
今は産業向けから始まっている段階。
でも、その「少し先」が、確実に縮まっている。
車を買い替えに行ったら、ロボットを待とうと思って帰ってきた。
これも、概念が崩れた瞬間だったのかもしれません。